会社の昼休み、時間があって手元に本がないときは
yahooの立ち読みをチェックする。
ふと、宮崎あおいの
『祈り』という本が目に留まった。
この間、映画
『ただ、君を愛してる』を見たばかりだったからかも。
早速立ち読み。
雲南省での写真と語りといった内容で、カメラを持った姿が
『ただ、君を愛してる』とリンクする。
ちょうど去年の反日デモの頃に行ったみたい。
少し前に出版されていたみたいだけれど知らなかった。
こんな風に、中国に興味のない人でも手に取りそうな有名な人の本に
中国が(しかも少数民族の地域が)紹介されていると
これによって少しは日本での中国に対しての理解が深まるのでは・・・
なんて考えてしまう。
大学時代に中国国内の少数民族について勉強していたので
余計にそう思うのかもしれないけれど。
中国には、中国国籍を持ちながら漢字を日常的に使わずに、
私たちと同じようにHSKを受験する人たちがいるなんて
中国ってやっぱり広いんだなぁと思う。
慣れない仕事で帰宅後すぐに寝てしまう。
というか、電車の名かでも寝てしまって、終点の駅で肩をたたかれること
しばしば。
そんな中で、週1回の中国語のクラスは、私にとって息抜きというか
心待ちにしている楽しみの一つ。
クラスメイト達は皆、私よりも流暢な人たちばかりで、
彼らの話を聞いているだけでも勉強になるけれど、
まさに「会話」というのにふさわしいクラスだと思う。
このクラスに決める前にもいくつか中国語教室を回ったけれど、
「会話」と名のついたクラスでも、テキストを使って、まさに学校の授業。
私の考えとしては、テキストを前に勉強するのは自分ですること。
クラスは普段の勉強をいかして自分を表現する場所。
先生やクラスメイトとのやりとりで、自分が準備していなかった方向へ
話が進んだりして、思っている以上に自分の意見を相手に伝えられない。
そこで「日ごろの勉強で出来た気になっていた」のが
実はまだまだだった事に気がつく。
そんな小さな失敗という記憶のきっかけをつくって表現を身につける。
そういった意味では、今通っているクラスは私にとって理想的。
誰かが自分の意見を表現して、他の人がその意見を聞いて
それに対してまた意見を言う。
こういったスタイルの中国語スクールが増えれば
中国語で表現することがもっと楽にできるようになると思う。
通っている中国語の教室で、いつも先生に「小孩子」と言われる。
確かにクラスの中では若い方だと思うけれど。
これでも一応、四捨五入で30歳。小孩子と呼ばれるにはちょっと抵抗がある。
しかしどうやら私の外見に問題があるわけではないらしい。
私の中国語の話し方が中国の子供のようだとのこと。
現地のテレビやラジオのCMで耳にした事がある方もいらっしゃると思う、
あの特有の話し方。
あんな感じなのだそうだ。
外国語とはいえ、もう少し年相応の話し方を身につけたい。
本当、久しぶりの更新・・・
まだ仕事に慣れずに、そちらにばかり気をとられてしまって
このブログもほとんどほったらかし。いかん。いかん。
何気なくテレビを見ていても中国語を耳にする機会が増えたと思う。
上海のF1の放送でも、フジテレビはご親切にも
オープニングで、車のメーカーや選手の名前の中国語表記を添えてくれていた。
中国語を勉強していない人にとってはさらっと流してしまうところだけれど
中国語を勉強しているとつい、気になってしまう。
・・・という私もコンタクトレンズをはずしたあとで、そのスピードに乗れず
記憶しそびれてしまったのだけが。
別の番組でも、勉強になることがあった。
中国からのゲストを招いてのトークの場面で通訳の声が比較的大きく、
少しなら言葉がききとれるくらいだった。
そこで30歳くらいの人の事を「小伙子」と言っていて、
「あれ?」と思って、辞書を引くと「若者」という意味らしい。
私はてっきり「小伙子」は「小孩子」に近い感覚でいたので
「なんで大人なのに“小伙子”なんだよ」と思ったのだ。
留学時代にこの単語が出てきたときに、中国人の説明が
若い人たちに使うという感じだった(気がしただけ?)。
感覚で勉強しているからこういうことがあるのかも。
久しぶりの更新。
北京に留学していたせいなのか、好きだから北京へ留学したのかは
わからないけれど“老北京”の雰囲気が好き。
噂によると胡同はだいぶ取り壊されているようで、
残っていくのは同仁堂药店のような老舗だけらしい。
ちなみに、「老舗」は中国語で「老字号」。
老北京といえば“大栅栏”を授業で取り上げた。
場所の名前としても使われているのか、それとも商店街のような場所のことなのか
いまいちまだ理解が出来ていない・・・
(大栅栏のGoogle画像検索結果は
こちら)
「栅栏(zhàlan)」は辞書によると「柵、矢来」の意味だけれど
先生によると「大栅栏」として使う場合は「dàshilan」と発音するそうだ。
(“shi”の声調は不明。先生に聞き逃してしまった)
「『dàzhàlan』では北京では通じない」とも。
私の調べたかぎりでは「栅」という漢字が「shi」という音だとは書かれていない。
「shān」と発音することもあるからそこから変化したのだろうか。
日本にいる限り、本や辞書から情報を得ているので
それに書いていなければ、今回のようにネイティブの話を聞くまで
知ることができない。
他にも辞書には載っていない独特の発音が存在するに違いない。